2020-09-14
大阪豊中市・天満橋のパン屋さん、パトリエフクモリの福盛尊子です。
皆さん、米粉パンをご存知でしょうか?
聞いた事がある方は結構おられると思います。
本日は米粉について、お話ししていこうと思います♪
目次
≫米粉とは
≫米粉パンが誕生した秘話
◇米粉とは
米粉とは、名前の通りお米を粉砕し粉状にした物の事を言います。
皆さんがご存知の上新粉や餅粉、白玉粉、寒梅粉等はもち米から作られる
粉の事で、主に団子やお餅、落雁等に使用されます。
米粉は新しい製法によって幅広い用途として使われるようになってきました。
少し難しい話ですが、『気流粉砕』という方法を用いる事により
微細な米粉が出来上がります。
米粉が出来るまでの工程はというと・・・
お米を調達します。
↓
ごはんとして食べる時のように精米します。
↓
洗米といって、お米についている不純物を洗い流す作業です。
製品の仕上がりに左右するので、とても重要な工程です。
↓
浸漬、酵素処理を行います。
お米の中心まで軟化させ、酵素を加える事によって細胞間物質を分解し
丸みを帯びた米粉になるよう処理を行います。
↓
水切りを行います。
水分を含んだお米から遠心分離機を使って脱水します。
(洗濯機の脱水と同じような感じ)
サラサラの米粉に仕上げる為にとても重要です!
↓
粉砕を行います。
高速回転する気流粉砕機に大量の空気と共に米を送り込み
空気濁流の中で発熱を抑えながら瞬時に微細は米粉に粉砕します。
↓
袋詰めを行います。
乾燥され異物除去装置を通過した米粉を計量しながら袋に詰めます。
このように米粉が作られ消費者のもとへ送られます。
工程引用:新潟製粉株式会社
◇米粉パンの誕生秘話◇
少し長いですが読んでもらえると幸いです。
米粉パンは20年前からあるのはあるのですが・・・
当時はあまりおいしくなく、米粉パン自体の印象もとても悪かったようです。
約15年程前、農林水産省事務次官より米粉でパンを作れないかというお話しを頂きました。
当時の米の消費量は昭和36年には年間一人辺りの消費量が118.3Kg
平成25年度には年間57Kg にまで減っています。当時は出荷前のお米が
大量に余っており、なんとか消費をと依頼がありました。
昭和40年頃から日本は高度経済成長期に入り、牛肉や洋食文化等が多く
日本に入ってきた為、お米を食べなくても満足するようになったのが原因と言われています。また日本人の人口も年々減ってきているのも要因の一つと言われてます。
お話しを頂いた時は米粉でパン?うちは小麦のパン屋や!!と断ったようです。
しかし、オーナーの性格を知っていたのか、君の技術では出来ないんだね。の一言から
約8年にも渡る開発がスタートしました。その時放った言葉は、やったろやないかい。。。
当時気流粉砕の米粉なんて存在していません。何からスタートって
もちろん米を粉砕する事からです。それはそれはとてつもない音を立てて当時自宅で
やっていた物ですからテレビの音なんか聞こえず、いつまでやんねん!とよくよく
けんかしたものでした。
何をやってもうまく行かない日が続き、ある時米粉の粒子の違いが大きく影響があるのではないかという事から気流粉砕が始まったのです。
パンがうまくいかないのも米粉にはグルテンが存在しません。
そもそもパンを作る骨格が全くないんですね。パンが膨らむのはイーストがもちろん必要ですが、小麦粉に入っているグルテンというタンパク質が必要不可欠です。
当初はグリコ栄養食品株式会社のご協力も頂き、グルテンを入れたタイプのもの
入っていないものの2パターンを作り、全国各地に講習会を開きながら地道に
米粉パンを広める活動をしました。そんな時も野次や罵倒はすさまじく馬鹿にされ、嫌味をたくさん言われついには騙されるといった事もありました。
そんな経緯を経て、今現在当たり前のようにある米粉パンはとてつもない努力と血を滲む
思いで開発された商品なんです。
この8年間の間に開発された米粉がなければ今この世に米粉パンが存在していないといっても過言ではないかもしれません。
少し読みづらい内容かもしれませんが、米粉パンの開発にはとてつもない労力、時間、お金がかかりました。世にないものを広めるって本当に難しく壁がたくさんあるものだと
痛感しましたが、世の中にはパンを食べられない子供たちがたくさんいます。
そんな子供たちがパンを楽しんで食べれるようにの願いが原動力になっていた事は
間違いありません。
現在はたくさんの方がパン教室を開いたり米粉パンの紹介をしてくれてるのも
この労力が叶った現実かと思います。
それも、パンの無類好きと小麦であろうが米粉であろうがうまいものを
食べてもらいたいという願いは本物です。
次回は米粉パンのアレンジやおいしい食べ方ご紹介します♪
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